『まっすぐ』の正体は『無限の情熱』
ナナシスで語られる『まっすぐ』の正体、
『無限の情熱』ってことなんだと私は思うんですよね。
初手で全てを言い切ったこの記事は、こちらの企画のDay5として作成されました。
この前ナナシスの映画見た後、いろいろ考えることがあり、ここに備忘録的に記載させていただきます。
以下乱文失礼します。
【まっすぐの正体について】
小さな頃は誰もが「まっすぐでいたい」とは思いません。
中略
いつのまにか我々は「まっすぐ」のやり方を、在り方を忘れます。
まっすぐのままで、日々を上手に生きることはとても難しいことだからです。
自分のまっすぐは他の誰かのまっすぐではなく、他の誰かの望みを叶えるには非力すぎ、それでも他者を求め、他者に答えを求めるとき、まっすぐでいることが足枷になるからです。
Tokyo 7th シスターズ メモリアルライブ 『Melody in the Pocket』 in 日本武道館パンフレットより
当時私はこの「まっすぐ」がわかるような、わからんような、なんとなくエモい言葉という認識でいました。
あれから2年半、ナナシスの歴史は7年となった今、やっとその正体を私なりに理解したような気がしています。
【まっすぐは無力】
映画を観て再確認したのは「まっすぐは短期的に見ると極めて無力である」ということです。
777☆Sは必死にレッスンをし、合間にビラを手で配り、客入りが少なくとも挫けず諦めず最後まで「やりたいこと」にエネルギーを向けました。
これらはまっすぐな行動として描写され、見るものの心を打ちます。
しかし、それらの行動は本質的に何の成果もあげていません。
八角スタジオでのライブ初日に人が集まったのは、採算度外視の広告宣伝費が投下されたからです。
最後のライブが満員になったのは、777☆Sの知名度やパフォーマンスが話題になったからではありません。八角スタジオが紡いだ歴史、そこに存在したファンコミュニティが生んだ駆け込み需要です。
まっすぐでいる、ただそれだけでは何も解決しないのです。
777☆Sは結局現実を何一つ変えられないまま、映画は幕を閉じるのです。
【誰かに届いたまっすぐは、世界に干渉できる】
しかしその無力なまっすぐが、世界に干渉できるアクションに繋がっていきます。
世界に干渉できるアクションとは、すなわち『カネ』と『ヒト』です。
『カネ』の使用を決断するのは人間なので、単に『ヒト』とだけ言ってもよいでしょう。
八角支配人はシスターズのまっすぐさに共鳴し、蓄えていたカネを広告宣伝費に投下しました。
昔八角スタジオに通っていたアイドルファンたちは、シスターズのまっすぐさに過去の自分の体験を重ね、再び集まることになります。
無力な存在であったまっすぐが他人に繋がることで、世の中に具体的な変化を起こす。
絶望的と思われても、無駄だと嘲られても、やりたいことをやりとげたいという折れない想いが、奇跡的に誰かに繋がる。
底なしの、無限の情熱が、誰かに共鳴し、世界に干渉する。
まっすぐそれ自体は無力だが、まっすぐでしか動かせない人の心がある。
これが映画ナナシスに(そしてナナシスの数々のEPISODEに)込められたメッセージのひとつと言えるでしょう。
【ナナシスはまっすぐのエネルギーから生まれた】
まっすぐの正体は無限の情熱です。
そして、他人が共鳴したとき、まっすぐは無力な存在ではなくなります。
ナナシス企画立ち上げ前のこと。
茂木氏が語った譲れない信念に対して、Donutsの西村社長が「それは別にいいよ」と許可を出した瞬間。
ナナシス企画立ち上げ直後のこと。
実績もビジネス思考もないくせにやりたいことばかり語る茂木氏を「イカれてる」と評しながらも、kz氏のマネージャーが事務所の社長に紹介した瞬間。
(Tokyo 7th シスターズ COMPLETE MUSIC FILE (リットーミュージック・ムック)より)
これらは、一人ではなにもできない茂木氏の情熱が、他人に共鳴した瞬間です。
そして、ナナシスが始まった瞬間とも言えるでしょう。
ナナシスという企画自体、まっすぐから生まれた作品なのです。
【ナナシスはまっすぐの連鎖から生まれた星】
アウトプットの連続で制作していたはずなのに、一人一人のスタッフやキャストと言葉を交わすたびに、
中略
自分の心の中のナナシス袋とでも呼ぶべき袋の中に、キラキラとした星のように放り込まれていきました。
「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E!! t7s 1st Anniversary Live in Zepp Tokyo 15→34」パンフレット
まっすぐの発信者であった茂木氏が、スタッフのまっすぐに共鳴したエピソードです。
茂木氏のまっすぐは様々なスタッフに届き、またスタッフからのまっすぐを茂木氏は受け取り、その連鎖によりナナシスはつくられてきました。
私たちに届いたナナシスは決して茂木氏個人の作品ではなく、幾多のまっすぐが束ねられた末に完成したコンテンツなのです。
2021年3月末をもって茂木氏はDonutsを退社し、ナナシスの制作チームから離れます。
茂木氏の去られた後も、そのまっすぐの連鎖は絶えることなくCHAINされることを私は信じています。
私のような一介のオタクにすら、ナナシスのまっすぐは届いているのですから。
【だから私は今日も手を伸ばす】
ナナシスが始まって7年。かつて高校生だった私も、気づけば大人になりました。
成人し、職に就き、家族ができ、税金と保険料と年金を納める、どう足掻いても言い逃れできない社会に組み込まれた大人です。
そんな大人になって思うのは「まっすぐでいたい」ということ。
まっすぐへの憧れも、まっすぐの難しさも、まっすぐの非力さも今ならわかります。
まっすぐな人として生きたいし、まっすぐな人と生きたい。
まっすぐな人として仕事をしたいし、まっすぐな人と仕事をしたい。
未熟な私にとってまっすぐを貫くことはまだまだ難しくて、気づけば右往左往してばかりです。
それでも心の奥底、私のセクシーランジェリーがまっすぐを求めてやまないのです。
私の中の煤けた黄金が、『まっすぐでありたい私』の存在を証明しているのです。
ロックミュージックとは「自由」であると書きました。
では、ここで言う自由とはなんでしょう?
中略
それは明快で「俺はここにいる」だと思っています。
どうあっても逃れられない自己を認め、恥ずかしげもなく晒し、他者へと伝達する行為なのだと思っています。
The QUEEN of PURPLE 1st Live “I'M THE QUEEN, AND YOU?" パンフレット
まっすぐを語りたがる恥ずかしい自分をも受け入れて、さらけ出し、ここにいるぞと吠えるのです。
まっすぐを誰かに届けたい。
誰かのまっすぐに触れたい。
だから私は、私のやり方で、私の場所で、今日も手を伸ばし続けています。
無数の星をポケットに感じながら。
まっすぐな光に背中を押されながら。
[了]